母の洋裁作品(No.1)

母の洋裁

妊娠37週5日にして、なんと風邪をひいてしまった。

喉の痛み、鼻水…

しかも夜中のお腹の張りが本当にすごくて、息が苦しいくらいだった。

あれもしなきゃ、これもやらなきゃと焦っていたから、赤ちゃんが「ママ、やすんで」と言っているの?

いつお産になるかわからないけれど、この風邪と前駆陣痛を越えて、前向きな気持ちで出産に臨みたい。

私の母

今まで娘しかしたことなかったけど、母親っていうのは大変だ。

「子どもが生まれてくると、楽しいことも沢山あるのよ」と母の日に、母親からメールが来た。

私の母はもう傘寿を迎える。

真面目な性格の母である。

母は長年、洋裁を仕事としてきた。

クローゼットはブティックのように沢山の手作りの洋服が並んでいる。

当然のごとく私の洋服も沢山、作ってもらった。

子どもの頃にピアノの発表会で着たドレスは未だにとってあるらしい(残念、お腹の子は男だからドレスは着られない)。

母がいう“おしゃれ”とは

私は年頃になると、母の手作りの洋服を着るのが本当に嫌だった。

母が作るのは流行のデザインとは違う。

私はみんなと同じように、ダボダボのズボンにピチピチのTシャツを着たかった。

ただただみんなと同じになりたかったのかも。

そうじゃないと自分が皆から出遅れてる気がしていた。


せっかく作ってもらった洋服をタンスの中にしまい込んだまま、母を傷つけていたこともあったのかもしれない。
そんなことはわざわざ話題にもしないけれど。


母曰く、

「おしゃれな人って、流行で身を固めてい人のことを言うんじゃないと思うの。

 それは流行を追いかけている人だよね。

 流行も取り入れていいんだけど…でも自分だけのこだわりも組み合わせて。

 自分に似合うものを知っている人のことを“おしゃれ”だと思う。」

そんなことは子どもの私にはよく理解できなかったんだけれど。

私は30を過ぎた大人になってから、母が昔自分のために作ってくれた洋服を引っ張り出して着るようになった。

私の身長は小6で伸びきってしまったので、小学校の卒業式のときに作ってもらったブレザーに、まだ袖を通すことが可能だったのだ。

母が自身のために作った洋服も物色して、持ち出して着始めた。

なぜそんなことを始めたのか?

やはり市販の安い洋服は生地が痛むのも早くて消耗品と言わざるを得ないだろう。

形が崩れない何年も着られる既製品を買おうとしたら、高いお金を支払わないといけない。

それは私の給料ではムズカシイ…

母の作った服を着始めた理由は、服を買うお金がもったいないとか、そんなことであった。

世界に一つしかない洋服に袖を通すと、なんだか少しだけ自分が特別な存在になったような気持ちもした。

あとは、どこかで、母親が“生きた痕跡”を残したいという気持ちもあるのかもしれない。

普通でいいのだと、慎ましく生きているつもりでも、
自分自身や自分の周りの人の“特別に輝き”を、私は求めているのだろうか。

母作成のマタニティドレス

単にマタ服、と言ってしまうのも、なんだか忍びない。

ドレスとあえて言おう。

「産後も着れるマタニティワンピースとか時間あったら作ってくれる?」

軽い気持ちでリクエスト。
そう、あんなに拒否してたくせに、要望出すようになっちゃってる。

そしたら、なんとひかりの速さで、生地をタクシーで買いに行ってくれて、

1週間くらいで完成品が届いた。

ブルーグレーの花柄のマタニティワンピース。

「前開きだから、授乳のときにも使えると思うの」

なるほどね。

袖丈は、七分袖だと短いし、長袖だともたつくし…と、気持ち短め丈にしてもらった。


問題なのは、洗濯したらアイロンかけないといけないのがめんどくさそう。そういうところがへそ曲がりの娘の私。

その手間も含めて、世界に唯一の“おしゃれ”なのかしら?

ありがとう。
産後も大切に着させてもらいます。


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